花の色や風のにおい、それらを包む太陽や空気など全ての雰囲気から明るくあたたかな春のエネルギーを感じます。これらも寒い冬を過ごしてきたからこそ味わえる恩恵なのでしょうか。その恵みに感謝して味わいたいと思います。
さて、前号につづき、「使命感」についてお話しさせていただきます。
「木輪を父から受け継ごう」と決意し、脱サラしました。木輪を受け継ぐにあたって、父とともに長年働いてきたスタッフもいます。そんな中で、「息子として、次期社長として素人同然の私がノコノコと入社するわけにはいかない」という思いから、千葉にあるZOPF(ツォップ)という店で5年半修業して、木輪へ入社しました。ZOPFは全国でも「パン好きの聖地」と呼ばれるほど、有名で繁盛しているお店でした。木輪のスタッフはZOPFで修業してきた私の一挙手一投足を見ています。下手なマネはできません。大変なプレッシャーでした。ところが、私の実力はZOPFの中でも低く、自信はありませんでした。
自信をつけたいと修業時からいろいろな新商品開発コンテストにチャレンジしていました。木輪に入社してからも、チャレンジしつづけていましたが、ことごとく書類選考で落選していました。それでもあきらめずにチャレンジしつづけ、応募し始めて5年ほどたってはじめて書類選考通過となりました。「ベーカリージャパンカップ」という全国の製パン技術選手権の地区予選に駒をすすめることができたのです。すると、地区予選決勝で優勝し、千葉の幕張メッセで行われた本選で勝ち、まるで誰かに引っ張り上げられたかのように全国優勝を果たしました。
その時(当時35歳)はただ嬉しく、「努力した甲斐があった」と思っていましたが、今(現在43歳)になって考えると、「なぜ実力もない私が日本一になれたのか」、「そもそもなぜ私はパン屋になったのか」など、私の力の及ばない何かがパンと私を強く結び付けてくれているのではないかと思うようになりました。そう考えると、このパン屋という仕事は私にとって天職であり、この仕事を通して多くの人を喜ばせ、幸せの一助になれるよう努めることが私に与えられた任務、すなわち使命なのではないかと思うのです。
まだまだ、人間的にもパンの技術的にも未熟な部分が多く、気づきが浅いためにその使命を全うできていない所が多いような気がいたします。これから、さらに人間的にも技術的にも磨きをかけて多くの人を喜ばすことができるよう精進してまいります。
本紙のタイトル「尚志(しょうし)」~志(こころざし)尚く(たかく)~は、そのような私の決意が込められています。今後とも、どうぞよろしくお付き合いいただきますようお願い申し上げます。